
先日、小5の娘が面白いことを言いました。
娘のクラスでは、サンタがいるかいないかで、クラスを挙げての大論争がおこっているとのこと。
娘は私にこう言いました。
「サンタさんからプレゼントをもらえるのは、サンタさんを信じている人だけだよ。」
なんでそう思うの?と私は尋ねました。
娘いわく、
クリスマスの朝、プレゼントがあったとする。
サンタさんを信じている人は、それをサンタさんからのプレゼントだと思って受け取る。
でも、サンタさんを信じていない人は、それはだれか他の人が置いたものだと思うから、サンタさんからのプレゼントとは思わない。
さすがコーチの子、と私は思いました。
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今日は「内部表現」について、娘の言葉を例に、説明していきます。
「内部表現」とは、私達が脳で認識している、すべての情報のことを指します。世の中のこと、自分自身のことをどう表現しているかということです。
だれもが、その人固有の内部表現を持っています。
同じものを見ていても、その人の考え方の癖や習慣、価値観などによって、ひとりひとりの認識は異なります。
例えば、先程の娘の話です。
クリスマスの朝、プレゼントが置いてあるという現実があった時、
「これはサンタクロースがくれたものだ。だからサンタはいる」
という解釈をする人と、
「これはサンタではない、誰か他の人が置いたものだ。やはりサンタはいないのだ」
という解釈をする人がいます。
物理現象(プレゼントが置いてあった)は同じでも、その人のベースとなる考え方が異なるだけで、解釈は全く正反対になってしまいます。
似たような例で、占いを信じるかどうかというのもあります。
なにか悪いことがあった時、占いを信じている人は、
「今朝のテレビの占いで、◯◯座はアンラッキーと出ていた。やはりあの占いは当たるんだ」
と思うことでしょう。
しかし、同じ悪いことがあっても、テレビの占いを見ていない人は占いと結びつけることはありません。
更に面白いことに、内部表現の違いは、単なる物理現象の解釈だけでなく、人の人生そのものを変えてしまいます。
人の脳には、自分が信じている世界をクリエイティブに実現させようとする力があります。
信じている世界と現実とが違った時、より臨場感の高い方を選択し、そうなるために必要な情報を選択的に認知し、そうなるように仕向けていく力があるのです。
占いの例でいうと、
占いを信じているひとは、朝の占いを見て「今日はアンラッキーな日だ」と思い込みます。
すると、脳がクリエイティブを発揮し、なんとかその日がアンラッキーになるように、出来事を作り出すのです。
そして、あの占はたしかに当たる、という信念をますます強化させていきます。
一方で、占いを見る代わりに、朝起きたら「今日はいい日だ!」というセルフトーク(自分自身について語る言葉。口に出すものと頭のなかで言うもの両方を指す)を毎日している人の脳は、その日がなんとかいい日になるように働きます。
こういう人は、一般的には悪いと捉えがちなことがあったとしても、信念に沿わない解釈はしません。
(以前、息子の首に鳥の糞が落ちてきた時、息子は「髪の毛にも服にも糞がつかなかったから、首を拭くだけで糞が取れた。僕は運がいい」と言いました。例えばこんな感じです。)
そうして運がよいことにフォーカスした一日を過ごすので、結局はセルフトークどおりの運が良い一日になるのです。
内部表現は、その人がこれまで生きてきた中で作られた、認知と反応の積み重ねです。
内部表現が、その人のパフォーマンスを決めます。
意識に上っている部分よりも、無意識の部分で認知、反応している無数のことにより、その人の行動は決まります。
よく、人生を変えるには、行動を変えるとよい、環境を変えるとよい、などといいますが、それらは意識に上っている部分だけで、ほんの一部でしかありません。
まず思考ありき、行動はあとからです。
人生を変えるには、内部表現自体を変えていかなければなりません。
コーチは、クライアントの内部表現を書き換えていくことで、人をまるで別人のように変えていきます。
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サンタを信じている子の親は、サンタという存在(実在はしないが存在している)の見えない力を受けてプレゼントを用意する代理人なのだと、私は思っています。
私の中では、サンタは存在しているのです。
あなたの周りの現実は、あなたがどう思っているかでいかようにも変わるものだと、感じていただけたら嬉しいです。
コーチ小堤明子